「第4回柳澤寿男ドキュメンタリー映画会」通信 R5.8.28
8月27日(日)藍住町総合文化ホールにて「甘えることは許されない」1975年制作110分の上映会を行いました。午前の部、午後の部の2回上映で、延べ100を超える方がご覧になりました。柳澤監督の奥様からのカンパでスタッフ・メンバーの弁当も用意できました。きらりのお茶付き弁当でメンバー達も大満足。遅れてきたYさんに「映画を見るか弁当を食べるか?」の質問に「弁当です!」と素早い返事。無事に映画会も終わりました。
これも小西さんはじめ藍住町総合文化ホールの関係者の方々、広報宣伝をしていただいた徳島映画センターの福永さんや宮崎和尚、服部和尚など皆さんのお陰です。有難うございました。
当日私が映画終了後にお話しした言葉を紹介します。(杉)
映画「甘えることは許されない」について
本日は「甘えることは許されない」をご覧いただき有難う御座いました。
私がこの映画を見たのは京都の労働福祉会館でした。出来たてほやほやを見させてもらいましたが、エンディングの着替えシーンに足取りが暗くなり「しんどい映画だなあ・・」という印象でした。ただ50年近く経つと、撮影スタッフが見るに見かねて手伝ってしまい、このシーンを撮るのに1週間もかかった裏話を知ったり、着替えシーンを撮らせた小林さんのすごさに感服するようになりました。
この映画は柳澤壽男監督が福祉ドキュメンタリーとして作った第3作目です。一昨年上映した「夜明け前の子どもたち」が1968年。昨年上映した「ぼくのなかの夜と朝」が1971年、そして今回の「甘えることは許されない」は1975年に制作されました。昨年上映した「ぼくのなかの夜と朝」に国立西多賀病院院長として近藤文雄が登場しました。近藤文雄は映画が一般公開される前に病院長を辞し、郷里の徳島に戻り、太陽と緑の会を設立し、筋ジス研究所設立運動に身を投じます。1971年4月のことです。その近藤文雄がこの映画を監修しました。
近藤文雄は徳島市入田町で大正5年1916年に生まれ、九州帝大を卒業してすぐに軍医として東南アジアに赴き、九死に一生を得て帰国。東大の整形外科医局に入り国立玉浦療養所所長、東北大学医学部助教授、国立西多賀病院病院長となります。一昨年上映した「夜明け前の子どもたち」の上映活動で仙台を訪れていた柳澤寿男が近藤文雄と出会ったことで、近藤文雄の生き方も変わったのかもしれません。
今回上映した「甘えることは許されない」は、同い年の柳澤監督が57歳から59歳の時に手掛けた作品です。こう見ると、不思議な巡り合わせが一連の作品に流れているわけです。第1回目に上映した「そっちやない、こっちや」は、この「甘えることは許されない」の後、1982年の作品です。来年は柳澤寿男福祉ドキュメンタリー映画会第5回目、最後を締めくくる「風とゆききし」を上映する予定です。是非ともご覧いただければと思います。お気をつけてお帰り下さい。
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※来年は8月25日日曜日の開催に決定しました。5回目、最後に上映するのは「風とゆききし(1989年(154分))」です。「盛岡市民福祉バンク」を舞台としたドキュメンタリー作品です。昭和50年に福祉とリサイクルを結び付けた活動をスタートし、平成25年10 月に財団法人から社会福祉法人へ移行、現在は就労継続支援A型事業となっています。どうぞお楽しみに。