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投稿日:2021年02月06日

事務局通信~誰にでもある偏見と差別

 東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長の発言が問題となっています。忖度して和を乱さない人をよしとする、日本の伝統的なムラ社会文化を象徴するような出来事でした。発言内容をよく読んでみると、女性だから問題があるのではなく、わきまえていないことが問題だ、だからわきまえている女性なら問題ない、と解釈できます。だから、例えば「女性」が「障がい者」や「外国人」であっても、和を乱すとみなされれば同様の発言になった可能性はあるでしょう。
 皆の意向(今回は会長の意向)に従わなかったり異議を唱える人がいれば様々な形で圧力を加え、それでもダメならば排除していく、組織を円滑に運営するためにはそれが当然のことと受け止められている、そういった文化がそこには存在するのでしょう。皆と違うことをするのは良くない、という価値観はいわゆる多様性(ダイバーシティ)とは対極にあるものです。それは新型コロナウィルスの感染拡大防止のための外出自粛要請に従わない人たちに対する「皆我慢しているのに身勝手だ。罰則を科してでも従わせるべきだ」といった非難、「若者は自粛要請にもかかわらず遊んでいる。自分の事しか考えていない」といった決め付けとも重なるものがあります。不要不急の外出の自粛のお願いであって、不要不急の判断基準は個人によって異なるにも関わらず、「あれは遊びだ。不要不急ではない」と犯罪行為同然のように糾弾されることすらあります。
 自分とは異なる価値観や行動様式をとるものについて、思い込みで決め付けてカテゴライズしようとする、という心理は誰にだってあります。よそ者はあかん、おじさんはダメだ、というように…。文化の問題と個人差の問題をまぜこぜにして「県民性」と単純化してみたり…。
※私が徳島に来たばかりの頃、「徳島は運転マナーが悪いから、運転には気を付けてね」とよく聞かされましたが、他の府県と比べて特別な違いは感じませんでした。川が多く、県内に高速道路がほとんどなく(当時)、橋に車が集まって渋滞が多く発生する、という地理的な要因もあったのかもしれません。

 今回は女性差別ということにスポットが当たっていますが、偏見や差別の問題は多岐に渡っており、生まれ育った環境や地域社会、時代背景から受け継いだ根深い価値観から完全に自由になれる人は稀有かもしれません。
 古くは被差別部落やハンセン病の差別、新しいものでは新型コロナウィルスの差別もあります。検査で陽性と判明した人、その家族や濃厚接触者とされた人が健康観察期間を終えた後、あなたはその人と一緒に車に乗ったり、会食したりすることができますか、陽性判明者の立ち寄り先として公表された店が再開された後、いつもと変わらずに利用ができますか、という問いにどう答えるか。他者に感染させる可能性はない、という医学的知見よりも、不安心理の方が勝ってしまう。それが偏見や差別の根っこなのかもしれません。
 私たちの心や体の奥底に刷り込まれたものは、容易に変わったり消え去ったりするものではありません。「差別や偏見はいけないことですからやめましょう」と言われたからといって「はい分かりました」とすぐにやめられるものでもありません。水面下に潜り影を潜めたとしても、危機的な状況になったときには浮かび上がってくるかもしれません。
 プロテニス選手の大阪なおみさんが森さんについて「無知な発言だった」とコメントしていましたが、的を射たものだと思いました。偏見や差別といった問題で大切なことは「知ること」、それも理屈で知るだけでなく実体験として知ることの積み重ねが必要なのではないかと思います。精神障害の当事者の方を「何をするか分からない怖い人」と思っている人にどれだけ言葉で説得を試みても、その考えが変わることはないでしょう。実際に見て会って話して、決してそうではないということを、自分自身の感覚で感じ取らない限り、考えは変わりません。
 
 森さんが強い偏見をお持ちであることは確かですが、特別変わった価値観を持っている、とは思えません。発言内容にもあったように、同じような考えを持っておられる方は少なからずおられるでしょうし、程度の差こそあれ「男性は○○だ」「女性は○○だ」「男だから」「女だから」「男のくせに」「女のくせに」という偏った見方や、個人差を性差とすり替える決め付けを、これまでにただの一度もしたことがない人というのも少ないでしょう。ただ森さんの場合、公の場とそうでない場との峻別が少し甘いのか、時代の流れや空気に対するアンテナの感度が弱いのか、何を言っても許されると勘違いするほど権力を手にしているのか、思わず本音を言ってしまうことが多いのかもしれません。「失言」という表現は正確ではなく、これからも考えが変わることはないでしょう。 
 個人がいかに偏見に満ちた差別的な価値観を持っていたとしても、それは個人の自由です。問題は森さんの価値観そのものではなく、そのような森さんが石川県の選挙区で衆議院議員として14回当選し、約43年間議員を務め、文部・通産・建設大臣を歴任し、総理大臣まで昇りつめ、引退後も政界に影響力を及ぼし、オリンピックの組織委員会の会長職についているということです。差別的な価値観よりも政治家としての手腕に重きを置いた。森さんがいることでメリットを享受した人が少なからずいた。それが日本という社会であることから目を背けてはならないと思います。
 トランプ前大統領も偏見に満ちた価値観を持っていることは公然の事実であり下馬評も決して高くなかったにも関わらず、政策に期待して選挙で選ばれました。ミャンマーのようにクーデターで権力を手にしたわけではありません。さらに在任中に差別的な言動を幾度となく行ったにもかかわらず、今回の選挙でも稀にみる大接戦となり、落選後も支持者が騒動を起こす事態にまで発展しました。トランプさんだけの問題でないことは明らかです。
 森さんの発言が問題だと思った方でまだ選挙に行ったことがない、という方がおられたら、選挙に行くべきでしょう。「自分一人が投票したところで何も変わりやしない」という諦めの積み重ねが、新たな「森さん」を生み出すことにつながるからです。投票率50%であれば、半数の人が投票していないことになります。SNSでの発信も社会を動かす力になりうる可能性はありますが、最終的に政治家に最も影響力があるのは票とカネです。投票も献金もしてくれない人の声に耳を傾けることはありません。首相が支持率低下を気にするのも、次の選挙に影響があるからです。
 会長として相応しくない、という国民の声が多ければ、辞任の可能性もあるかもしれませんが、そもそも森さん個人の問題というより組織全体の問題であり、森さん一人が辞めれば解決する問題ではないのかもしれません。森さんの辞任を進言するという損な役回りを「女性」の橋本大臣や小池知事が引き受ける覚悟は、今のところないようです。お二人とも「わきまえている」側なのでしょうか。最後は「外圧」に頼ることになるとすれば情けない話ではありますが…。
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