投稿日:2017年07月15日

事務局通信89〜指導って一体何だろう

事務局通信89 指導って一体何だろう

 知的ハンディを持つメンバーのAさんは、小学生の頃、放課後が習い事で埋まっていました。月曜日は習字、火曜日と金曜日は公文、水曜日はピアノ、木曜日は英会話、土曜日は日本舞踊…。
「ハンディを持って生まれたかもしれないが、少しでも健常者に近づけるようになってほしい。人様の前に出しても迷惑にならない、恥ずかしくない人になってほしい」
 我が子がハンディを持っていることを隠さざるをえなかった時代、何事も努力すれば少しずつできるようになるという努力信仰の時代、子供の不出来は母親の責任と言われた時代の中、お母さんもAさんも手探りで進むしかなかったと思います。
 ただ、残念ながらあまり成果にはつながらなかったようです。お母さんの落胆と、本人の無念が交差する中で、言いたいことが言葉に出せなくなったのでしょうか。支援学校を卒業し、ある時、コップの中の水があふれました。言葉にならない思いが、衝動的な行動と叫びで噴き出してきました。

 公的資金で運営されている福祉施設からも(資格を持ち専門性が高いとされる指導員がそろっているはずなのですが)受け入れが難しいという判断を下され、行き場を探していく中で、公的資金がずっと少ない作業所に通うようになりました。
 作業所のスタッフAは髪の毛100本くらいをまとめて引き抜かれ、スタッフBはTシャツがビリビリに破れ腕も痛めました。意味は分からなくても相手が傷つくことが分かると、執拗にその言葉をぶつけていく。そこからのスタートでした。
 「しんどい」と言えるようになるのに2年、「○○が嫌だった」という言葉がポツポツと出てくるのにさらに1年、何度も心が折れそうになりながら毎日車で送り迎えを続けるお母さんと一緒に、体を張って向き合う日々が続きました。

 自分の気持ちを分かってほしいと思えば思うほど相手を心身両面で傷つけてしまう。そうでない人に対しては仮面をつけていく。だから、「あんなに素直でいい子がまさか…。そんなことをするはずがない」となかなかその厳しさが伝わりません。
 模範解答は見つかりません。無力感とのせめぎあいの中で、教育・指導・努力信仰から少し距離をとりつつ、一緒に苦しみながら長い時間をかけて模索していく。ただ、その中で、「まだまだ人間、捨てたもんじゃないな」と思える瞬間が、ごく稀にだがある。自分はなぜこの世界と出会ったのだろう、そしてなぜ相変わらずこの世界にいるのだろう、それを解く鍵はその辺りにあるような気がします。
(事例はいくつかの事例をつなぎ合わせたイメージ論であり、実際の事例とは異なります)