投稿日:2013年11月03日

事務局通信63

事務局通信63〜出発点

阿波高校の3年生が、職場体験ボランティアとして、2日間メンバーと一緒に、品物の陳列・入替、回収品の荷下ろし・仕分けなどを体験してくれました。

「重い障がいの人はいないんですね」
「やさしく話しかけてくれて、いろいろ気を使って頂いて、この方のどこが障がい者なのかな、と思いました」
 作業所に来るまでにいろいろなことがあり、来てからもいろいろなことがあり、今もいろいろなものを背負っている。そういったメンバーの働いている姿を見て「普通の人と変わらないじゃないか」と素朴に感じて頂けることは、ある意味有難いことかもしれません。

 確かに、「見ただけでは分かりにくいハンディ」の存在が引き起こす問題は多々あります。「障がい」の定義が厳格な我が国の制度福祉の中で、時には「ハンディ」が「性格」の問題にすり替えられ、サポートの枠外に置かれてきたという状況を看過できないことも確かです。

 しかし、「障がい者」「健常者」という色付け、「この人はこういうことができない人だ」という決めつけから始まる関係よりは、多少粗削りな面はあったとしても「普通の人と変わらないじゃないか」という所から始まる関係の方がまだいいのではないか、人と人との関係を結ぶ「出発点」としてはその方が本来的ではないか、などと思ったりもします(あくまでも出発点としては、ということであり、ハンディについての理解・認識が不要だということではありません)。
(このあたりの問題は、それぞれの立場や経験によって、見解が様々だとは思いますが…)。