投稿日:2013年02月18日

事務局通信58

事務局通信58〜ハンディを乗り越えなくても

 メンバーのAさんは最後に退院してから20年になる。退院後しばらくしてから作業所に通うようになった。
 一般就労に挑戦したけどうまくいかなかったこと、調子の波が激しくて再入院寸前まで行ったこと、主治医の先生が亡くなって調子を崩しかけたが何とか乗り切ったこと、などいろいろあった。
 今はお客さんと世間話もしながら、仕事を切り盛りしている。調子が悪くなっても悪いなりに調整して作業できるようになり、大きく崩れることはなくなった。入院していた頃の看護士さんと久しぶりに作業所で再会すると、その変貌ぶりに「あの泣いてばかりいたAさんが」と一様に驚かれる。
 今でも服薬はしている。「なぜ自分はこんな病気になったのか」「病気にならなければもっと違う人生があったのでは」と悩むこともある。いつか服薬しなくてもよい日が来れば、という気持ちもある。
 しかし、服薬していても毎日仕事をしてお客さんとも顔なじみになり、他のメンバーからも頼りにされている自分をどこかで肯定できる気持ちも芽生えている。人は他者から認められることで自分を支えることができるのだろう。

 Aさんはハンディがなくなったわけではないし、ハンディを乗り越えたわけでもない。どこかで折り合いをつけながら、できることは自分でやり、できないことは助け合い、社会に居場所を見つけ、人との関係を深めながら生きている。
 その過程の中で「回復していく」こともあるかもしれない。それは、薬や指導訓練の成果というよりは、人との関係性の中で回復してきた、ということなのだと思う(※)。
 その関係性を考えて行くことの中に、本来的な福祉の道筋のひとつがあるように思う。たとえそれが数十年の長きに渡る道のりであったとしても(小山)。

(※社会生活を営む上での服薬の必要性や、一定の局面における指導訓練の有効性を否定している訳ではない)

(事例は当会の活動内容をイメージして頂くために、日常の取り組みを紡いだものであり、ある特定の事例を指すものではありません。)