投稿日:2012年12月01日

宿泊研修2012in京都滋賀 報告

平成24年11月26日(月)〜27日(火)、財団法人徳島県福祉基金より「地域活動支援センター等利用者の社会参加促進事業」として受けた助成金に自己資金を合わせ、太陽と緑の会リサイクル作業所及び太陽と緑の会月の宮作業所合同の宿泊研修旅行を行いました。研修の参加者は様々なハンディを持ったメンバー、スタッフ、ボランティア、計33名(リサイクル作業所21名、月の宮作業所12名)です。
今回の研修では、作業所利用者の見識を深めることを目的として株式会社マルダイ石鹸本舗及び信楽焼窯元の見学を行いました。
午前8時に太陽と緑の会リサイクル作業所を出発。雨が降りしきる中、金毘羅タクシーの41人乗り貸切バスに乗って、海を越え、滋賀県大津市のマルダイ石鹸に到着しました。昼食は、メンバーの阿部君とパートの片岡さんによる手作りのおにぎり。具は頂き物の佃煮や梅干しで海苔をまいてラップにくるんで作りました。

マルダイ石鹸では、この道30数年の職人、中井社長さんが案内して下さいました。
「マルダイ石鹸は昭和53年5月1日に創業した。廃食油から粉石けんを作るという我が国初の取り組みに、全国から多数の見学者が訪れ、粉石けんづくり運動が広がった。粉石けんはよく売れたが、その後バブルが崩壊し、売り上げも落ちた。今は本当に必要としてくれている人だけが使って下さっている。借金も完済し、今人生で一番穏やかになれた。」
 太陽と緑の会ではリユース・リサイクル作業の一環として、平成3年から平成17年まで、市民の皆様から回収したテンプラ廃油(累計5000リットル)を小型トラックでマルダイ石鹸まで運び、生まれ変わった粉石けん(累計7.5トン)を徳島に持ち帰り販売してきました。平成19年から徳島でテンプラ廃油のBDF化が始まり、当会で回収した廃油もBDF化するようになりましたが、マルダイ石鹸の購入を希望する方が多かったことから、粉石けんの販売のみ継続して現在に至ります。
 20年来のお付き合いになりますが、遠方のため、ほとんどのメンバーは製造現場を見たことがなく、今回見学させて頂くことに致しました。
 マルダイ石鹸では、高温焚き込み法という独自の方法でテンプラ廃油から粉石けんを作っています。
直径2メートル高さ2メートル厚さ側面8ミリ底板12ミリの大釜に、1600リットルのテンプラ廃油を投入し、朝9時ごろ重油バーナーに点火。2時間すると温度が上がってきます。苛性ソーダを1200リットルの水に溶かして投入、鹸化。火を止めるのは19時半ごろ。水蒸気で釜の中は見えないので音と臭いで火を止めるタイミングを決めます。作業場は冬は5度、夏は35度。火を入れると夏は最高45度まで上がるそうです。
 翌朝。表面は冷えて固まっており、その下は熱くドロッとしている。表面に穴を開けてポンプで一気に汲み上げる。最後の塊はバケツで釜から掻き出す。夏は5分作業したら30分休憩。蒸気で酸欠状態になる。ミキサーで炭酸ソーダを混ぜ込み1日置く。粉末機にかけて粉石けんになる。冬は釜焚きから5日くらいで完成するとのことです。夏は1か月たってもまだ冷めないとのこと。1回の釜焚きで3トン弱の粉石けんができあがります。
 焚き込み法は、塩析法など他の方法に比べ手間がかかり熟練を要しますが、出来上がった石鹸は洗浄力にすぐれており、またグリセリンを含んでいるため水に溶けやすいという特徴があります。またテンプラ廃油は主に植物性油であり、動物性油に比べて水に溶けやすいこと、多様な油が原料であるため多様な汚れを落とすことができること、なども、マルダイ石鹸の特徴です。
「石鹸は好き嫌いがはっきり出る。この石鹸がいいと思って頂けたらずっと使って下さる。売上は大きく落ちたけれど、マルダイ石鹸がいいと思ってくれるお客さんがいてくれるので、一定の水準を維持できている。この石鹸がいいと思って頂くためには何をしたらよいのか。」
穏やかな語り口の中から、中井さんの石鹸作りにかける思いが伝わってきました。

マルダイ粉石けん100袋(3キロ/袋)を購入してバスに積み込み、宿泊先である京都大原の旅荘茶谷へ向かいました。
旅荘茶谷は、学生さんが合宿などで使われることも多いそうで、食材のひとつひとつにまでこだわった1泊2食6825円のリーズナブルなよいお宿でした。

翌朝、午前9時に出発。信楽の陶芸の森で昼食。メニューは380円〜400円のほかほか弁当という節約プラン。信楽焼窯元見学は、しがらき観光ボランティアガイド協会の2名のガイドさんに案内して頂きました(ガイドさん1名につき1000円の交通費が必要だが、無料で案内して下さる)。
信楽伝統産業会館にて信楽焼の歴史について説明して頂いた後、ろくろ坂を上ります。何軒か窯元が目に入って来ます。住居と作業場が一緒になっていること、屋外に作品が陳列されていることも、信楽ならではの光景とのことでした。
続いて、Ogamaで保存されている登り窯を見学します。窯詰め(窯に焼く作品を詰めて行く)に15人がかりで2週間かかり、火を入れると1500束の薪で3日間焚いたそうです。国内でシェア9割を占めた火鉢も石油ストーブの普及と共に低迷、植木鉢に転換するもプラスチックの登場によってこちらも低迷し、重労働で大勢の人と大量の薪が必要となる登り窯からガス窯などに転換するようになったとのことでした。最後は信楽陶芸村にて、昭和9年築窯の登り窯の前で、登り窯や狸の置物についてのお話を伺いました。

今回の研修は、例年よりも出発が早く、戻って来るのも遅めでしたが、2か所の見学先で職人仕事の大変さと意義を改めて感じさせて頂くことができました。当会の作業所で働く、様々なハンディを持ったメンバーにとっても、日常活動の中で関わりのあるテンプラ廃油から作った粉石けんや信楽焼について学ぶよい機会となり、初めて見る鹸化用の大釜や登り窯を前に次々と質問が飛び出し、また3000体の狸にも圧倒されていました。費用対効果の高い研修になったと思います。