投稿日:2012年06月17日

事務局通信52

 Aさんは高校卒業後、知り合いのつてで従業員20人の木工会社に入れてもらうことができた。バブル真っ盛りで会社の景気が良かったことも幸いした。
月給7万円。しかし、手先があまり器用でなく、なかなか仕事を覚えられず、「こんなこともできんのか」「何回同じことを言わせるんだ」「さっさとやらんか」と怒られた。次第に会社から足が遠のき、最後は辞めることになった。
会社の方からすれば、頼まれたのでやむなく引き受けたものの、給料には程遠いレベルで…、ということだったかもしれない。
行き場所がなくなったAさんは、家に閉じこもるようになった。養護学校(現在の支援学校)ではなく普通高校出身のため、障がい者福祉サービスに接する機会がなく、ご両親も世の中にそういうものがあるのをご存じなかった。
昼間は自分の部屋で寝て、夜になると起きて、2リットルのペットボトルのジュースとスナック菓子を手元に置いて、明け方の5時くらいまでずっとテレビを見ている。「いいかげん寝たら」と親が声をかけると「やかましいわ」と大声をあげる。厳しい生活が何年も続いた。
ある日、Aさんをお父さんが太陽と緑の会リサイクル作業所に連れてきた。知り合いがリサイクル作業所に時々買い物に来ており、教えてくれたとのこと。
朝9時からのスタートになかなか間に合わず、昼過ぎに来るのが当たり前。ジュースとお菓子で腹いっぱいになっているため、朝食は食べずに通所、昼食も手をつけることなく、眠そうにして作業にならない。一日休むと生活リズムが崩れ、次の日から出てこれない。そのまま3週間休み続けることもある。家庭訪問を重ねて連れてくることもしばしばだった。
リサイクル作業所での1か月の給料は2万円くらい。「こんな安い給料でやってられるか」とつぶやく彼がいた。
内職中心の福祉施設では1か月の工賃が3000円〜1万円、保護者から保護者会費(例えば1万円)、施設利用料等の費用徴収を行い、トータルでは持ち出しになるのが普通だった。太陽と緑の会リサイクル作業所は保護者会費、施設利用料等の費用徴収がないので、実質的な給料は他の福祉施設よりずっと多い。しかし過去の経験がガラスのプライドと結びつき、ネガティブな思考へと導かれていく。
「ワシは普通の高校を出たんや。前の会社で7万円もらっとったんや。イジメにあって辞めさせられたんや。」
作業のスピードは決して速くないが粘り強く取り組んでくれるAさんは、次第に他のメンバーから仕事を頼まれるようになってきた。
「明日は来てくれ。日曜日でお客さんも多いし、Aさんがおってくれんと困るんや」とメンバーのBさん。「何で、休んだらあかんのや」と返しつつ、満更でもない表情を見せる。
作業所に来て初めて、自分を本当に必要としてくれる人と場所に出会えたのかもしれない。
10年の歳月を経て、朝はほぼ定刻に来るようになり、一日休んでも翌日は普通に出てこれるようになった。昼食も毎日きちんと食べ、暑い夏もバテずに乗り切るようになった。
継続は力なり、である。
久しぶりにAさんが風邪をひいた。2日間休んで、熱も下がった。まだガラガラ声である。
「大事をとってもう一日休んだら」と父。「昼から行く」とAさん。
「ワシの仕事なんや」
生活保護を受給する人が210万人を超し、生活保護費も基準額の引き下げが検討されている。一方、働く機会を増やす施策は実効性に乏しいものも少なくない。働くことは、ただ単にお金を稼ぐための営みではなく、社会と関わっていく手段であり、働くことを通じて人は社会における自らの立ち位置を確かめていく。当たり前のように働いていた日々から放たれたとき、初めて失ったものの大きさに気付く。今こそ「働くこと」の意味を再検討する必要があると思う。

(事例は当会の活動内容をイメージして頂くために、日常の取り組みをつなぎ合わせたものであり、ある特定の事例を指すものではありません。)
(文責:小山)