投稿日:2011年10月08日

事務局通信44

軽度の知的障害を持つAさんは祖母と2人暮し。8年間の「働く」という営みから離れて半年になる。
家を訪ねると、表情は明るい。半年前は、険しい表情で睨みつけ、時には勝手口から逃げだして行くこともあった。
たわいもない世間話には乗って来るが、これからどうするのか、という本題に入ると、表情を曇らせる。
元の世間話に戻そうとボールを投げてくる。それが無駄な努力と分かると、目をそらして黙り込む。
ごはんを食べて、テレビを見て、寝る。それが毎日続く。
家を出るのは、レンタルDVDを借りに行く時と返しに行く時だけ。
体重も増えた。今のAさんしか知らない人が、8年前のやせ細った姿をイメージするのは困難かもしれない。
祖母が生活保護を受給しているため、働かなくても何とか生活は成り立つ。
その現実が、働かなければ、というせっぱつまった危機感や、働く意欲を根こそぎ奪い取っていく。
世間の厳しい現実に向き合うことも、社会の風にさらされることもない。

4級の身体障害を持つBさんは両親と兄弟の6人家族。障害基礎年金はもらえず、生活保護も受給していない。
昼食、夕食、衣服、散髪などは自分で何とかしなければならない。
午前中は作業所で電話対応の作業を担当し、その給料で昼食を食べる。
午後は自作の詩集を販売する。自転車やバスを使って徳島市内などを練り歩く。1冊200円のうち、自分の取り分は100円。これで夕食を買い、衣服はリサイクル作業所の安いリユース品を買う。散髪は散髪屋で丸坊主にしてもらって1000円。以前は散髪代が払えなかったため、ボウボウの頭を見かねて代表の杉浦がボランティアで刈っていた。
Bさんは、どうやったら詩集が売れるか、必死に考える。夕食に何を食べるかは詩集の売上にかかっている。だから詩集を買って頂けた時は心底うれしいと思う。Bさんにとって、働くことは生きることでもある。
確かに、言語障害のためにうまく言葉が伝わらずに怒られたり、ヘトヘトになるまで歩き回っても売れなかったり、押し売りや不審者と間違えられて追い返されたり、「働くこと」は辛く厳しいことも多い。
しかし、「働くこと」で人と出会い、社会とつながっていくBさんの姿を見ていると思う。最低賃金という基準で線引きをして、そのレベルに達しない人を「働くこと」から除外するのではなく、その人なりの多様な働き方を認め、一人でも多くの人に働く営みを保証していくことが、最終的に社会的コストの抑制にもつながるのだ、と。