投稿日:2011年08月21日

事務局通信42

事務局通信42 指導する側、される側

 先日、ある地域活動支援センターの活動が新聞で紹介されました。
 同センターの利用者(ハンディを持ったメンバー)と地元婦人会の会員が作った手作りの「防災ずきん」の展示会の紹介で、センターと婦人会が開いた講座で、ずきん作りが上手な婦人会の会員が指導し製作した、という内容でした。
 同センターは11年前に障害者地域共同作業所としてスタートし、地域に密着した活動を続けて来られました。作業のひとつとして手芸にも取り組み、メンバーさんが防災ずきんを作ることができるようになって、今回の講座の企画に至った、ということでした。
 メンバーさんが婦人会の皆さんにずきん作りを教えたのですが、新聞記事でその点については言及されていませんでした。背景には「健常者は指導する側、障がい者は指導される側」という「常識」があったのかもしれません。

 様々なハンディを持っている人達にも、その人なりにできることはあります。
 太陽と緑の会リサイクル作業所では、
「簡単な電話の応対が少しできる人」
「市民の皆様から無償提供して頂いた品物を運ぶことができる人」
「商品を磨くことができる人」
「道具で値札をつけることができる人」
「衣類のハンガーかけができる人」
「商品を売場に並べることができる人」
「売場やトイレの掃除ができる人」
「落ちている服を拾うことができる人」
「お客さんに挨拶ができる人」
「レジができる人」
「パソコンが使える人」など、
様々なメンバーが、できることを引き受け、できないことは助けてもらい、リユース・リサイクル活動に関わっています。
中高生の体験実習や社会人の体験研修においては、ハンディを持ったメンバーが健常者の参加者に仕事を教える場面が多々あります。
「障がい者を指導する」つもりで来たスタッフは、逆にベテランのメンバーから「仕事が遅い」「段取りが悪い」「それでもスタッフか」と怒られて、面食らうかもしれません。
 メンバーは、それだけ自分の仕事に誇りを持っているのです。この仕事をやって給料をもらっている、という自負が自分を支えています。

 自分のできることをやって、他者から認められる、それが自分を支える力になる。私たち一人一人にも当てはまることかもしれません。(小山)