投稿日:2009年10月27日

事務局通信 その29 〜「切り捨てる」ということ〜

事務局通信29 〜「切り捨てる」ということ〜
100の仕事ができないと一般就労できない、という状況があったとします。この場合、90の仕事ができる障害者の人は残念ながら一般就労することができません。60の人、40の人、10の人についても、同じです。
 では、基準に満たなかったこれら4人の人はどうしたらよいのでしょうか。
 第一に、そのような人ばかり集めて福祉サービスを提供すればよい、という考え方があります。その場合、例えば就労継続支援事業や通所授産施設など公的な福祉サービスを利用することになると、1人当たり年間120万円から230万円の税金が使われることになります。ただし予算や質、量の不足により、サービスを利用できない人が出てきます。
 第二に、これら4人の力を合わせれば、200(=90+60+40+10)の仕事、つまり一般就労2人分の仕事ができるのではないか、という考え方もあると思います。
例えば、地域活動支援センター太陽と緑の会リサイクル作業所では、様々なハンディを持った人がその人なりの働き方を続けています。磨いたり拭いたりすることができる人、値札付けや商品の袋詰めの作業ができる人、物を持ったり運んだりすることができる人、古紙の積み込みの作業ができる人、お客様の応対ができる人、電話の応対ができる人、レジができる人、いろいろな人が、自分のできることは自分でやり、できないことはできる人に助けてもらうことで、年間300日、7200件1000トンのリユース・リサイクル事業を支えています。
 第三に、これらの人は、そのまま放っておけばよい、という考え方があります。仕事ができないのが悪いのだから仕方がない、ということです。
 「基準に満たない人を社会から切り捨てる」という考えは、障害者領域に限った話ではありません。
アメリカのサブプライム危機に端を発した景気後退の影響で、職住を同時に失って野宿を余儀なくされた労働者の方の問題がクローズアップされていますが、実は大阪釜が崎では何十年も前から、野宿を余儀なくされた日雇労働者の方の問題がありました。
 社会からの切り捨てが広がると、最終的に生活保護や刑務所といった最後のセーフティネットのコスト増大という形で跳ね返ってきます。
 切り捨てる側から切り捨てられる側への転落は、ある日突然やってきます。一度切り捨てられると、元に戻ることは容易ではありません。セーフティネットからこぼれ落ちた結果、路上で凍死、餓死したり、自殺される方が後をたたない。これは、過去の話でも、遠い国の話でもありません。(文責:小山)